明治28年(1895)の狛狐
二本に亡命した朝鮮の李王朝の政治家・金玉均の筆跡を刻んだ碑である。
金玉均は、久我山に生まれて幼くして小笠原に渡り、砂糖王と呼ばれた飯田作左衛門から、「遠く離れている父に朝夕仕えることも出来ず、心で思うばかりである。せめて父の住む所に自分の不孝を詫びる石碑を建ててくれ」 と頼まれ、その心根に強く打たれてこの筆跡を残した。
天満天神社 ・ 八雲神社
力石
人心同碑
稲荷神社拝殿
明治28年(1895)の狛狐
稲荷神社本殿
赤い両部鳥居と石造鳥居が連なっている
手水舎
舞殿
青面金剛の庚申塔
境内土止落成記念碑
久我山稲荷神社社標
御遷宮紀念碑
明治・大正時代に村の若者がこの120㎏の石を担ぎ上げ、力を競った。
昭和36年(1961)7月20日
元禄16年(1703)造立