面影橋の由来

江戸名所図会の面影橋

目白台から続く鎌倉街道と推定される古い街道沿いにあり、姿見の橋ともいわれた。
橋名の由来は諸説あり、高名な歌人である在原業平が鏡のような水面に姿を映したためという説、鷹狩の鷹をこの辺りで見つけた将軍家光が名付けたという説、近くにいた和田靱負(ゆきえ)の娘であった於戸姫(おとひめ)が、数々起こった悲劇を嘆き、水面に身を投げた時にうたった和歌から名付けたられたという説などが知られている。
なお、姿見の橋は面影橋(俤橋)の北側にあるもので、別の橋だという説もある。

里程標

面影橋上流域

面影橋下流域

三島橋が桜の木の間から見えている

右にカーブした先で桜の木の間から曙橋が見えている

面影橋(おもかげはし)橋標

みなもと 17.1キロ      すみだがわ 7.5キロ