長命寺
六助塚の碑<鼠取養犬の碑>
文政11年(1828)に建立された山岳信仰の碑で、中央に 「湯殿山」、右に 「月山」、左に 「羽黒山」 と刻まれている。
成島柳北は、天保8年(1837)に生まれ、幕末明治の随筆家であり実業家である。将軍家茂に経書を講じ、外国奉行、会計副総裁を勤めた後、幕府崩壊とともに職を退いた。
出羽三山の碑
成島柳北の碑
文政8年(1825)に春英の7回忌に門人たちにより建立された顕彰碑
勝川春英翁略傳の碑
いざさらば 雪見にころぶ所まで
芭蕉句碑
江戸桜の碑は、9代目市川団十郎が演じた「助六由縁江戸桜」を記念したもの
狂歌碑?
橘守部は、天明元年(1781)伊勢に生まれ、「源氏物語」 に取り組んだ国学者の一人であり、「山彦冊子」を板行して名声をあげた。
橘守部の墓
万治2年(1659)の庚申地蔵尊
孕山堂江雨燈影の碑・江戸桜の碑
長命水の井戸
文楽義太夫節三味線方の名跡で大坂の生まれ、1828年2代目鶴澤清七の門下で初代鶴澤徳太郎で初舞台を務め、1836年に清六と改名した。
初代鶴澤清六之塚碑
三代将軍家光が、鷹狩り途中の腹痛を寺内の井戸水で薬を服用し快癒したことから、長命水の名をいただき、寺号も長命寺とした。弁財天は河(水)の神ということから、蛇がお使いとして選ばれ、巳の日に参拝する風習が生まれた。