新宿山の手七福神へ

太宗寺

地蔵尊の塩をもらって患部に塩を塗り込むとおできが治るそうで、御礼は塩を倍にして返すそうである。

塩かけ地蔵尊

境内に入って左手に境内社の 「稲荷社」 がある。

閻魔堂の正面に架かる 「閻魔殿」 の額は、中国清朝の官吏秋氏が嘉永3年(1850)に奉納したものという。

閻魔堂内左手に安置されている座像で、明治3年(1870)の製作と伝えられている。奪衣婆は閻魔大王に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服を剥ぎ取り、罪の軽重を計ったとされている。右手に剥ぎ取った衣服が握られている。

文化11年(1814)に安置されたと言われ、江戸時代より「内藤新宿のお閻魔さん」として庶民の信仰を集めていた。(御開扉は7月15日・16日で、この写真は2014.7.16撮影)

奪衣婆像

閻魔像

額に銀の三日月を持つため通称 「三日月不動」 と呼ばれる不動明王像である。

新宿山の手七福神は昭和初期に有志により創設されたものであるという。布袋尊は実在した中国の禅僧がモデルである。

三日月不動

布袋尊像

信州高遠の藩主を務めた譜代大名内藤家の墓所で、中央の宝篋印塔が内藤家5代藩主正勝、右が13代頼直、左が内藤家累代の墓塔である

塩かけ地蔵尊の隣に不動堂が建っており、布袋尊像と三日月不動が安置されている。

銅造地蔵菩薩坐像

内藤正勝の墓

江戸時代前期に江戸の出入り口6箇所に造立された 「江戸六地蔵」 の一つである。正徳2年(1712)江戸六地蔵の三番目として甲州街道沿いに造立されたものである。

閻魔堂