厳嶋神社
参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。
源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083~87)で奥州征伐に向かう途中ここに立ち寄り、遠く富士山を望み安芸の厳島神社に戦勝を祈願した。義家は奥州の鎮定の帰途、戦勝の御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが始めと伝えられている。
小さな池の中には錦鯉が泳いでいる
手水鉢の龍の口
北側の鳥居
拝殿
小さな社のこの付近には、徳川綱吉の生類憐みの令により2万5千坪の犬小屋が設けられていたという。
七井不動尊