磐裂霊水(いわさくれいすい)
天海は比叡山で天台宗の奥義を極めた後、徳川家に仕え日光山の貫主となる。徳川家康が亡くなると天海はその遺言を守り、久能山から遺骨を日光に移し、東照宮の創建に尽くした。
天海大僧正像
与謝蕪村句碑
神橋入口の鳥居
二荒山神橋橋標
日光開山の祖勝道上人がこの地に清水を発見し、以後修験者が神仏に供えた霊水と伝えられている。
二荒や 紅葉の中の 朱の橋
大谷川に架かる二荒山神橋
奈良時代の末に勝道上人が日光山を開くとき、大谷川の急流に行く手を阻まれ神仏に加護を求めた際、深沙王(じんじゃおう)が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説があり、別名、山菅橋や山菅の蛇橋とも呼ばれている。