水戸第二代藩主義公徳川光圀は修史の志をたてて、明暦3年(1657)に大日本史(402巻)の編集をはじめた。寛文12年(1672)にその編集所を彰考館と名付けた。彰考とは「歴史をはっきりさせて、これからの人の歩む道を考える。」という意味である。
当初は江戸小石川の藩邸内に置いたが、元禄11年(1698)に水戸城に移した。彰考館は、この二中の敷地の一部に当たり、廃藩置県となった明治4年(1871)までの173年間ここに置かれた。
この編集には多くの学者が携わったが、なかでも誉泊済安積覚、十竹佐々宗淳、翠軒立原萬、幽谷藤田一正、天功豊田亮、栗里栗田寛などが有名である。水戸藩の全精力を傾注したこの大事業は、250年の歳月を費やして、明治39年(1906)にようやく完成した。
由緒あるこの地に、その名昔をしのび、これを建てる。
彰考館は、水戸第二代藩主徳川光圀が、わが国の歴史書である「大日本史」の編纂所として創設した史局である。全国から学者を集めての「大日本史」編纂は、藩の一大事業となり、学問や教育に力を注ぐ水戸藩の伝統は、この時から始まったといえる。
彰考館は最初江戸に置かれていたが、光圀の隠居後、水戸城二の丸にも置かれ、幕末まで編纂事業が進められた。
明治維新後も「大日本史」の編纂は、徳川家の事業として継続され、偕楽園南隅へ移転した彰考館において、明治39年(1906)に完成した。
彰考館跡碑
旧水戸彰考館解説
大日本史編纂之地碑