徳川頼房公は、徳川幕府創始者である家康公の11男として慶長8年(1603)京都の伏見城で生まれた。7歳の時に、徳川御三家の一つである水戸藩初代城主となった。その後、頼房公の治世に53年に及び水戸城の大改築、下町の造成、城下町の拡張や全領検地をはじめ、水利事業や藩職制の整備など、水戸藩の基礎を確立し、現在の水戸市の街づくりに生かされている。
 寛文元年(1661)水戸城中で59歳の生涯を閉じた。諡(おくりな)は威公と称されている。 (水戸市)

 柵町坂下門は、二の丸の南口にあたります。この門をくぐって坂を上がると、二の丸に入る柵町門がありました。二つの門の間に下乗札が、坂下門の外に下馬札が立っていました。また大下馬という長屋があったともいわれています。
 門は「高麗門」という様式で、2本の本柱の後ろにそれぞれの控柱をもち、本柱と控柱の間にも屋根を乗せるのが特徴です。

高麗門の柵町坂下門

柵町坂下門解説

徳川頼房公像