水戸市柵町三丁目のこの地はかつて水戸藩家老三木仁兵衛之次の邸にして義公と諡(おくりな)されし水戸藩二代藩主徳川光圀卿の生誕されし所なり。その生母谷氏故あって之次およびその妻武佐の庇護のもとに三百四十四年の昔なる寛永5年6月10日太陽暦に換算して7月17日義公を生み給ひ、卿はその後数年を此所にて過ごされしなし。ここに之次の裔(すえ)啓次郎この聖地に義公の祠堂を建て、徳川家より贈られし卿の尊像を奉祀して景仰の誠を捧げりいささか由来を記すものなり

朽残る 老木の梅も 此宿の はるにふたたび あふぞ嬉しき

 水戸の生んだ不朽の傑人「水戸黄門光圀」(義公)は、初代水戸藩主頼房(徳川家康の第11子)の第3子で寛永5年(1628)6月10日、家老三木仁兵衛之次の邸に生まれた。
 母は谷氏(靖定夫人)といい、義公の生誕を前にこの屋敷に一粒の梅の実をまいた。義公生誕とともに芽生え、成長とともに育ち、寛文7年(1667)義公40歳の春、ここに賞花の宴を催し、「朽残る 老木の梅も 此宿の はるにふたたび あふぞ嬉しき」 と詠んだ。
 歌に生母への思慕の情がうかがわれる。
    (水戸市教育委員会)

光圀公歌碑

義公祠堂碑

義公祠堂

義公生誕の地