復元されたカノン砲

野口雨情の碑

萬世景仰碑

銅造燈籠

 水戸藩9代藩主斉昭(烈公)が鍛刀の心得のあった藩士久米新七郎長量に命じて作らせた戦車で、一人が中に入り銃眼から射撃できるようにしてある。大牛一頭に引かせた車に連結し、歩兵隊を従わせて行動を助けさせたっという。
 一方の屋根に窓を開けさせているのは、ここにガラスに仕組んだ磁石をはめ、外部をのぞかなくとも方角や行動がわかるように考案されたもので、床に穴が開いてあるのも行動が長期にわたる場合の不浄用のためのものである。実戦に使用されたことはなく、また実際に役立つものなのかどうかは疑問であるが、幕末の風雲の急なとき国防の必要を説いた斉昭の心のあらわれの一つであると理解される。
    (水戸市教育委員会)

天満宮

安神車

安神車解説

 寛文7年(1667)に、それまでの水戸城における太鼓による時報に代わるものとして、水戸藩二代藩主光圀の命によって鋳造された銅鐘である。朱舜水の銘と序が刻まれており、城内二の丸柵町門にかかげられ、時を知らせた。
 鐘は。宝永元年(1704)に常葉山東照宮に納められ、城内の時報は再び太鼓に代わったが、安永5年(1776)に新鐘が造られて太鼓に代わり、元の鐘は東照宮の宝庫に納められていた。
 明治5年(1872)、県庁に移されて時報に用いられていたが、大正9年(1920)、東照宮に再び納められ、今日に至っている。常葉山とは、元禄12年(1699)、社のある一帯に命名された名称である。
    (水戸市教育委員会))

鳥居

東照宮拝殿

拝殿に掛かる東照大権現の扁額

この碑は、野口雨情生誕百年を記念し、昭和58年5月29日、雨情文学のふるさとこの地に建立された。大正4年当宮ご祭神徳川家康公没後300年祭が盛大に行われ、大層華やかだったことが伺える。

徳川頼房がご祭神徳川家康の33回忌にあたる慶安4年(1651)に奉納した。

手水舎

常葉山時鐘

常葉山時鐘解説