中門

一階から東庭を望む

三階から東庭・千波湖を望む

 この待合は、茶席に招かれた客が席の準備ができるまで控え待っていたところです。壁には斉昭の書で「茶説」「茶対」「巧詐不如拙誠(こうさせっせいにしかず)」を彫り付けたものが塗り込められています。
 「茶説」は茶に対する礼の重要性を表したもので、「茶対」は茶道についてその教訓を問答形式で斉昭が書いた文です。
 「巧詐不如拙誠(たくみに偽るより、拙くとも誠であることがよい)」は、斉昭が茶道における戒めとした書である。

紅葉の間

中庭

待合内部

藩主夫人が城中から好文亭においでになったとき、御付きの御殿女中の主だった者が控えた部屋

 好文亭は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)が詩歌・管弦の催しなどをして家中の人々とともに心身の休養を図るために天保13年(1842)に建てたものです。好文というのは梅の異名で、「学問に親しめばう梅が開き、学問を廃すれば梅の花が開かなかった」という中国の故事に基づいて名付けられました。
 建物は木造二層三階建ての好文亭本体と北につながる奥御殿(平家造り)からなり、全体を総称して好文亭と呼んでいます。斉昭はその位置から建築意匠まで自ら定めたと言われています。
 億御殿を設けた理由は、万一城中に出火などがあった場合の立ち退き場所として備えられたためと、当時藩内では管弦など禁制であったので城中の婦人達のため遊息の場所としたという配慮があったようです。
 昭和20年(1945)8月2日未明の空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955)から3年をかけて復元されました。昭和44年(1969)9月落雷により億御殿と橋廊下は焼失しましたが、昭和47年(1972)2月に復元されました。
 平成23年(2011)3月11日の東日本大震災では壁の崩落など大きな被害を受け閉館を余儀なくされましたが、平成24年(2012)2月に復旧しました。

芝前門

待合

好文亭解説