「水戸彫り」と呼ばれた彫金の名工海野美盛と萩谷勝平の技倆を称え、明治43年(1910)11月に海野勝珉等によって建立されました。
 碑には、この技術が徳川斉昭の奨励によって発達したことがうたわれています。碑の上部の竜と獅子の浮彫は、海野勝珉によるものです。

白梅

二名匠碑

好文亭

 偕楽園の名前の由来や創設した理由、利用の心得などが、斉昭の直筆で記されています。碑には、斉昭の宇宙観や人生観、藩主としての姿勢、偕楽園が弘道館と一対の施設として構想されていたことが記されています。また、この公園は自分一人のものではなく、領内の人々が学問や武芸を学んだあとで余暇を利用して休息し、心身を養うところであることを明らかにしています。
偕楽園の名前は、「多くの人々と楽しみをともにしたい」との思いから名付けられました。碑の裏には、斉昭の定めた園内での禁止条項(六条)が刻まれていますが、その内容は今日の公園管理の先駆をなすものといえます。

偕楽園記碑

梅林

偕楽園記碑解説

紅梅

桜川上流方面まで梅林が続いている

眼下に千波湖が見える