水戸藩第9代の藩主徳川斉昭(烈公)を助けて藩政改革に尽力し、また「弘道館記」の草案を書き、「弘道館記述義」等を著して、藩校弘道館の創設に大きな足跡を残した側用人藤田東湖(名は彪)が、文化3年(1806)3月16日、父幽谷の長男として生まれたのが、この地であった。
 ここは、寛政9年(1796)父幽谷の代に、藩から与えられた屋敷地で、敷地内には私塾青藍舎があり、東湖はそこで父から学問を受けて成長し、また江戸へ出て剣術や槍術の修行なども積んだ。
 この地は、昭和26年藤田家から水戸市に寄贈され、現在は水戸好文カレッジの敷地となっているが、「藤田東湖生誕の地」の碑と、東湖産湯の井戸跡が残されている。
  (水戸市教育委員会)

藤田東湖生誕の地碑

東湖産湯の井戸跡

藤田東湖像

藤田東湖生誕地解説