倒れた南無阿弥陀仏碑や墓石

十王堂跡地解説

松本城を築城した石川氏は、城下町の南、東、北口に十王堂を建て、町民の安全と町内の鎮護を祈願したと伝えられている。安原の十王堂は城下町の北の入口に建てられました。その後萩町が造られ、城下町は拡大しましたが、十王堂は当時のままです。明治初年の廃仏棄釈で、多くの寺が廃止となったとき、この十王堂も破却されてしまいました。

右手前の南無阿弥陀仏碑は延宝6年(1678)と刻まれている