宮入家の先祖が宝暦9年(1759)に祭ったもので、はじめ北国街道沿いにあったが明治11年(1878)の明治天皇北陸御巡幸の際に当局の指導で宮入家の西側に移されたが、平成23年6月現在地に安置された。
この仏像は一般には宝珠と宝輪を持ち六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に迷う人々に福徳と知恵を与え、文字にあるようにあらゆる願いを意の如くなるのを助けてくれると信じられている。
江戸時代から信仰が盛んになり中期には特に女性に深く浸透した。片膝を立てている姿は近代以前の出産の格好に似ているとされた。仏像の形から弥勒菩薩と間違い易い。またこの頃からは十九夜待ち、二十三夜待ちなどの本尊ともなっている。
高田のこの仏像は付近の古老の話によると大変霊験あらたかで養蚕の盛んな頃は繭を供えたり、戦時中は出征するにあたり、小幟を献じたり盆提灯をあげたり、千羽鶴をあげたりするのも最近まであった。古くから屋内に祀られていたため、風化の程度も少なく今後も今の状態を保つべく区内の株式会社ダイコク社長・中澤善智氏のご好意によりこのような立派な御堂を御寄進いただき安置することができた。
今後とも高田の平安を守っていただく仏様として大切にしたいものである。

境内社の石祠

御成婚記念碑

如意輪観音の安置された御堂

金毘羅神社

如意輪観音坐像

高田の如意輪観音坐像解説