元禄年間、仏門に帰依した問屋柳島市郎左衛門寛休により建立された。本尊は観音菩薩であるが、地蔵菩薩も併尊されている。この地蔵菩薩は享保7年(1722)縁あって丹波島宿に安住することとなったと伝えられている。
堂内には念仏行者徳本上人の名号碑と寛休の経塚がある。平成4年丹生寺改築に合わせて改築された。
明治より昭和40年代まで庵主がおり、浄生庵と呼ばれていた。

浄生庵の開祖は、寛延元年(1748)12月12日、往誉深阿浄生と記録されていますが、それより前享保7年(1722)庵内にある地蔵菩薩は為親松本太良左衛門、「乃至法界平等利益」と台座に刻まれています。施主は柳島市良左衛門で庵内の御本尊は観音菩薩です。庵内の地蔵菩薩は、遠く江戸から丹波島宿を通って他所へ運ばれる途中、この丹波島宿で根がはったように動かなくなり、この丹波島の地で安住することになったと伝えられています。25年後の寛延元年に堂が建てられ、安置されたものと思われます。爾来霊験あらたかな延命子育て学問成就の観音様、地蔵様として地区住民の篤い信仰を得て今日に至っております。古い庵は昭和50年代に取壊され、平成4年3月信徒みなさまの浄財により立派に再建されました。敷地内には念佛信者徳本行者(1758-1818)の「南無阿弥陀仏」の名号碑があります。徳本上人は江戸芝の増上寺の典海和尚に招かれ、一行院を興した僧で、文化13年(1816)信濃を巡錫の折、立寄った時のもので丹波島の念佛講もこの徳本上人のお念佛から始まったとされています。

観音堂(浄生庵)解説

浄生庵解説

享保7年(1722)の地蔵菩薩立像

観音堂

観音堂に掛かる浄生庵の扁額

観音堂内陣

観音菩薩立像

徳本の南無阿弥陀仏名号碑

寛休の経塚