上部の折れた庚申塔

御嶽霊神

御嶽山

幹が空洞の御神木ケヤキ

明治天皇御召喚之處碑

寛政12年(1800)の御神燈

明治天皇北陸巡幸の際は、篠ノ井橋が出来ていなかったため、明治天皇を板に載せて軻良根古神社の宮司らが担いで千曲川を渡ったという。

軻良根古神社拝殿

拝殿に掛かる軻良根古神社の扁額

軻良根古神社の両部鳥居

江戸時代には、ここ軻良根古神社のあたりから千曲川対岸の矢代 (現在の屋代) へ渡るための 「矢代の渡し」 があった。
ここは北国街道篠野井追分宿と矢代宿を結ぶ松代藩七渡しの一つで、この近くの人々には 「矢代の渡し」 と言われていた。天保14年(1843)に出された 「善光寺道名所図絵」 の中に 「是より矢代宿まで一里なり 其間 千曲川繰船の渡しあり」 とある。その頃は、渡し船であったことがわかる。
やがて、この渡し場より北方に、善光寺道と合流する篠野井追分宿が出来て、人馬物資の交流が盛んになった。
明治になり鉄道の開通までの長い年月、この 「矢代の渡し」 は篠野井追分宿に繁栄をもたらした。
なお、ここに船橋が完成したのは明治5年(1872)で、その規模については、「県町村誌」 の中に 「舟12艘を連携す。橋の長さ44間(80m)、幅一丈(3m)」 とある。

ずらりと建ち並ぶ境内社の石祠

素戔嗚尊を祀る覆屋の中の天王社

菅原道真公を祀る太政社

祭神札 「誉田別尊・建御名方神・大己貴神」

本殿覆屋

拝殿内部

篠井庄神社(左)・唐猫宮(中)・軻良根古大神(右)の扁額が掛かっている。

軻良根古神社前の矢代の渡し跡付近

矢代の渡し跡解説

寛政9年(1797)の法華石経供養塔

日と月、鶏が刻まれた庚申塔