文字は判読できないが道祖神と思われる
注連縄を巻いた道祖神
旧北国街道横吹道跡解説
坂木宿を抜けた所から苅屋原榎並木地籍までを結んで山腹の断崖を旧北国街道が通じていた。横吹八丁とも言われたところである。大部分当時の形跡を失い、坂城側からの登り道、それから山腹を西に進む横道の一部分が明らかな遺構として認められるだけである。
この道は中世においては極めて危険な細道であったが、慶長16年(1611)北国街道全通に当たり道幅を広げて交通の便にした。しかし十分な道幅がとれず往還の大名さえ駕籠から下りて通ったという北国街道最大の難所であった。明治10年(1877)1月山下の千曲川沿いに新国道が開通し、以後往還の使用がなくなった。