坂木陣屋跡解説
高浜虚子句碑
若山牧水歌碑
元和4年(1618)4月金井村から杭瀬下村まで(上徳間千本柳内川村を除く)の千曲川東側14ヵ村が幕府直轄領となり坂本五千石と称された。坂本村に陣屋が置かれ代官による政治がここで行われた。
嘉永元年(1624)からは越後松平領、天和2年(1682)よりは板倉領となる。
この時代は坂木藩と呼ばれ此の場所に五万石の藩庁が置かれた。
元禄16年(1703)4月板倉氏は福島へ移封となり再び幕府直轄領となった。宝暦4年(1754)には陣屋は中野へ移り坂木五千石は中野預かりとなった。同9年までは出張陣屋として存続したが、それ以後廃されるにいたった。初めは民家を借用したものであったが、天和元年(1681)松代藩主真田幸道の預かり時代に新築された。この建物は明和4年(1767)横町の大火の折焼失した。
現在陣屋の面影をとどめていないが、この東側の石垣と石垣上の稲荷社跡および旧称陣屋道が当時の遺構である。
春あさき 山のふもとに 畑をうつ うら若き友と なにをかたりし
春雷や 傘を借りたる 野路の家