この墓所は、第三代板木代官長谷川安左衛門利次が、名家遺跡の忘失を憂え、戦国の雄将村上義清公の墓所建設を思いたち、明暦3年(1657)義清公の玄孫義豊や村上氏の臣出浦氏の子孫、正左衛門清重らにはかり、 自ら施主となって出浦氏所有の墓地に、義清公供養のための墓碑『坂木府君正四位少将兼兵部小輔源朝臣村上義清公神位』を寄進によって設立したものである。 その後、寛保2年(1742)清重の子清平が玉垣を築き、寛政3年(1791)清平の子清命が、石柱 『御墓所村上義清公敬白』 を建てた。 昭和45年以来諸整備補修が行なわれ、昭和47年墓碑の上屋と鉄柵が設置された。 平成8年には全面的改修となり、現在の諸施設になった。

観無量寿碑

村上義清公墓所標柱

村上義清公墓所標柱

不明な石碑

村上義清公墓所

村上義清公墓所解説

地蔵菩薩坐像