江戸幕府は、1604年(慶長9年)五街道をはじめ脇往還の北国街道など重要な道筋に杉、松、榎などを植えた一里塚を築き、旅人の安全を図りました。 古図には、秋和村宮原の上塩尻境に一里塚があったと記されており、道しるべのある場所が一里塚の跡と考えられます。 この道しるべには、「此道往還人」、「右北国街道、左さくば道」 と刻まれており、「右側は北国街道、左側は農道ですよ」 と教えています。 なお、裏側に 「文久元歳(1861年)上塩尻」 の銘があります。

右北国街道   左さくば道

斜面に建つ地蔵菩薩

此道往還人

文久元年(1861)歳辛酉5月

「一里塚と道しるべ」 解説

農道痕跡と思われる脇に建つ道標