秋和集落を通る旧北国街道
秋和公会堂前の北国街道解説碑
街道脇の用水路には沢蟹がいる
北国街道は、中山道の脇往還として、佐久郡追分宿で中山道と分かれ、小諸・海野・上田・善光寺・野尻の各宿を経て越後国直江津に至り、北陸街道につらなる約35里の街道である。 江戸と信越・北陸を結ぶ重要路線で、善光寺参りの善男・善女はもちろん、多くの旅人が往来し、加賀藩をはじめとする諸国大名も参勤交代に使用した。 また佐渡金山の金銀を江戸に運んだ街道としても知られている。 この街道の沿線にある秋和村は、真田氏が上田城を築き城下町をつくった際、防衛目的で、城下町を囲むようにしてつくられた村のひとつである。 藩命により、太郎山沿いにあった道をここに移すと同時に、山麓の六工・内屋敷寺川と千曲川へりの宿在家にあった民家66戸を道の左右に配置し、整備した。 その移住にあたっては、屋敷年貢御免の恩恵を受けた。 このような村は、城下の東の入口に踏入・常田の二ヶ村を、西の入口には秋和・生塚・西脇・鎌原の四ヶ村を、さらに東北に房山村、西南に諏訪部村がある。 (1600年初頭) この街道は、現在も重要な生活道路として秋和の里に伝承され、文化をはぐくんでいる大切な道である。