安永3年(1774)の種子(梵字)碑
青面金剛の庚申塔
石祠
地蔵菩薩
寛保2年(1742)7月27日から降り出した雨は8月1日まで激しく降り続いた。そのため北山の山と池が崩壊し土石流となって金井村を襲い東部中学校、法善寺付近を南下し常田、田中の宿場を一気に押し流し、千曲川に流下する未曽有の大災害を引き起こした。このため多くの尊い人命が奪われた。宿場はその機能を失い、隣の海野宿に移譲せざるを得ず、復旧するには60年の歳月を要した。これを戌の満水という。
安永9年(1780)の石尊大権現
昭和16年(1941)の寛保二戌年田中流死者二百年忌供養塔
戌の満水塔と刻まれた宝篋印塔
明治24年(1891)の寛保二戌年流死人百五十年回忌碑
明和3年(1766)の吽形の仁王像
寛政8年(1796)の阿形の仁王像
御堂に祀られた金精様
道祖神
雷電為衛門の母が願を掛けたと伝えられ、翌年雷電が生まれた。
雷電が大関になった翌年、雷電の母が感謝の気持ちで奉納したと伝わっている。
薬師堂
薬師如来が安置された御堂内陣
金精様が祀られた御堂