滋野三家(海野・望月・禰津)の流れをくむ。早くから真田昌幸・幸村(信繁)父子に従い、幸村(信繁)の側近として知識をふるった。
真田十勇士のまとめ役。知略で徳川家康を悩ませた。滋野一族である海野氏の一門。
頭が良く槍の達人。幸村(信繁)とよく似ていて、大阪夏の陣では影武者となり身代わりとして討死した。
(昌幸)
幸隆の三男。戦国大名として力を蓄え、上田城を築城した。父譲りの知略で徳川の大軍を二度に渡り撃退したことは、特に有名。第二次上田合戦の後、息子・幸村(信繁)とともに高野山・九度山に流され、その地で没した。
(幸隆)
信州の名族・海野一族の流れをくむと云われている。武田信玄のもとで活躍したが、特に信玄が落とすことが出来なかった砥石城を知略により落城させたことは有名。真田一族繁栄の礎を築いた人物。
海野六郎
穴山小助
真田幸隆・真田昌幸
望月六郎
三好清海入道
三好伊三入道
真田幸村(信繁)
由利鎌之助
六尺豊かな大男、怪力の持ち主。筋金を打った太い樫の棒を振り回して戦った。
清海入道の弟。やはり大男で怪力の持ち主。大阪夏の陣では大奮闘した。
鍵十字槍の名手。穴山小助との一騎打ちで生け捕りにされ、以来幸村(信繁)に仕えた。
真田昌幸の次男。第二次上田合戦で父・昌幸と徳川軍を打ち破った。その後、徳川家康により高野山・九度山に流された。大阪冬・夏の陣において、家康を相手に大活躍したが、幸村はここで討死した。その活躍は、「真田、日本一の兵」と絶賛された。後に、この活躍から幸村(信繁)と真田十勇士が活躍する物語が作られた。