北条時頼墓 ・ 大江定基墓 ・ 水野駿河守墓

枝垂れ桜と一休さん

歴代住職の卵塔

地蔵菩薩立像

昭和45年ベルツ博士の顕彰句碑の除幕式に植えた菩提樹

菊にほふ 國に大醫の 名をとどむ

水原秋櫻子句碑

庭園

庭園

 衆寮にお祀りしてある愛染明王の尊像は遠い平安の昔、一条天皇の御代に三河の国守大江定基公が、亡き力寿姫の菩提を弔うため、愛染池畔に祀ったと伝えられています。 人間の愛欲貧染をそのままに認めて仏心に通ずることを教えるみほとけで煩悩即菩提の教えの本尊でもあります。
 縁結び、家内円満、五穀豊穣の霊験著しく広く信仰されています。
 毎年4月29日には愛染明王の大祭が厳修されます。

愛染明王説明

愛染明王堂

西明寺本堂

本堂に掛かる西明寺の扁額

鐘楼堂

樹齢約400年のモッコク

宝篋印塔

葵の紋が刻まれた手水石

参道

手水舎

 寺伝によれば、平安時代の寛和年間(985-87)、三河国司大江定基が六光寺を開いたのが始まりとされています。当初は天台宗でしたが、鎌倉時代の執権北条時頼(西明寺入道)が諸国巡歴の折に立ち寄った縁により西明寺と改め禅宗寺院になったとされています。延徳元年(1489)には水野駿河守が知多郡乾坤院より太素省淳和尚を招き再興しました。永禄7年(1564)には、徳川家康の東三河出陣に協力し、家康の命により西明寺に改めたと伝えられています。慶長8年(1603)には、家康から寺領20石の朱印地を与えられています。
 本堂の前には、明治政府に招かれたドイツ人医師ベルツ博士の供養塔があります。花夫人の父方の菩提寺であったことから昭和5年(1930)に建立されました。
 また、境内西の墓地には、大江定基・北条時頼・水野駿河守・山本勘助の墓碑や芭蕉句碑を建立した江戸時代の俳人米林下才二の墓があります。
   (豊川市教育委員会)

山門

山門に掛かる大寶山の扁額

西明寺由緒