昭和20年8月7日午前10時30分、突如米軍機B29の大編隊が豊川海軍工廠に来襲、数千の爆弾、焼夷弾、無数の機銃弾が投下され、廠内は一瞬修羅場の巷と化し、阿鼻叫喚のうちに職員、従業員、学徒、女子挺身隊員、雇員、傭人等の尊い命二千有余を奪ってしまった。其の惨状目を被はしめ、混乱の状筆舌の及ぶところではなかった。同年終戦和平となるや豊川海軍工廠報国団が中心となり、現地に供養塔を建立して挺身国難に殉じた英霊二千有余柱の冥福を祈らんとの議が起こり、全団の資金と団員の汗の奉仕とにより、10月25日地鎮祭を行い、翌21年9月23日竣工除幕式を挙行した。
 因みに塔中には戦死者名簿と廠内縁りの土を納め、各工場の石定盤に戦死者氏名を刻し台座周囲に組み、以って永久に冥福を祈らんとした。
 偶々昭和32年8月7日此の地に於いて英霊13回忌法要巌修の際、生存者一同相諮り供養塔の概要を記し、後世に伝えんと此の碑を建立す。

戦没者出身地碑

地蔵菩薩立像

海軍工廠戦没者供養塔

供養塔の由来