外宮

三河総社拝殿

内宮

手水舎

参道

神門

 総社とは、国司が国内の神社を巡拝する労を省くため、祭神を一か所に合祀した神社であり、平安時代になると各国の国府近傍に設けられました。また国府(国衙)とは、総社に先立ち、8世紀に全国60余りの国々に設置された国の役所のことで、その中心施設は国庁と呼ばれます。
 古代三河国の国府については、豊川市域を中心とした宝飫(ほお)郡(宝飯郡)内に置かれ、その所在については、国府町の的場遺跡(守公神社周辺)と白鳥遺跡(総社周辺)の二ヶ所が候補地とされてきました。
 豊川市教育委員会では、この三河国府の確認調査を平成3~9年度にかけて実施し、総社及び東側の曹源寺一帯にかけて正殿・後殿・東西脇殿からなる国庁が存在したことを確認しました。国庁北側で実施された区画整理事業に伴う調査成果等も含め、三河国府跡からは 「国厨 」や 「介○○」 と墨書された土器、陶製印、羊形硯など国府跡ならではの遺物も数多く出土しており、この台地一帯(白鳥遺跡)に三河国府の関連施設が広く展開していたことが明らかとなってきました。
   (豊川市教育委員会)

妹(いも)も我も 一つなれかも 三河なる 二見の道ゆ 別れかねつる

高市黒人の万葉歌碑

境内社石祠

招魂社

三河国総社・三河国府跡説明

鳥居

大正13年(1924)の常夜燈

稲荷神社

三河総社本殿

三河総社本殿正面