聖観世音菩薩像
三河国分寺塔跡碑
国分寺塔跡芯礎の位置
十三仏
十三仏
普賢菩薩
この銅鐘(梵鐘)は、三河国分寺の貴重な遺産で、大正11年(1922)に国の重要文化財に指定されました。
八葉蓮花文(はちようれんげもん)の撞座の位置が高く、竜頭(上部の飾り)の向きが、撞座の方向と直交するなど、古い形式のものです。
製作年代は、奈良時代ともいわれていますが、竜頭の形や乳(ち)の配列、乳の間の形などから平安時代に入ってからのものと考えられます。
高さ 118㎝ 下帯周り 256㎝
重さ 678㎏ 口径82.4㎝
80個あった乳もいつしか欠け落ち(弁慶の引きずり伝説)20個を残すだけとなっているのも寺の古い歴史を物語っているようです。
(豊川市教育委員会)
国の重要文化財の梵鐘 (銅鐘)
三河国分寺銅鐘説明
国分寺とは、聖武天皇が天平13年(741)に発した 「国分寺建立の詔」 により、国分尼寺とともに各国に建立した寺院で、僧20人を置くことが定められていました。当時流行していた疫病や天災・内乱を仏教の力で鎮めることを目的とし、三河国においては、国府に近いこの台地上に国分寺の七堂伽藍が建てられました。現在の国分寺は、16世紀に再興された曹洞宗の寺院です。
三河国分寺跡では、これまでに数度の発掘調査が行われ、遺跡の様相が明らかになってきています。寺の敷地の範囲は180m四方で築地塀に囲まれ、その東寄りに南大門・金堂・講堂が南北一直線に並び、西寄りに塔が位置します。発掘調査や出土瓦の分析などから主要な伽藍のうち塔が先行して建てられたようで、十世紀代以降に建物が廃絶していき、寺院機能が衰退したと推定されています。国分寺跡の北側(国分寺北遺跡)では、建物跡などの多くの遺構が検出されており、国分寺の維持・経営を行った施設が存在したことが判明しています。
(豊川市教育委員会)
本堂に掛かる国分寺の扁額
三河国分寺本堂
三十三観音
三河国分寺山門
手水舎
山門に掛かる国府荘山の扁額
この御堂には弘法大師が誕生してから逝去するまでの62体の姿が安置されている。
南大門は、国分寺の正面門で、最も格式高い構造であったと推定されている。
金堂と中門は、回廊と呼ばれる屋根を有した廊下状の建物で結ばれていた。
弘法堂
西回廊跡
南大門跡
三河国分寺跡説明
石仏等の石造物
史跡三河国分寺跡碑