霞堤は、堤の配置から鎧堤ともいわれます。堤防の数か所に切れ目をつくり、豊川の水位が増すと、その切れ目から堤防内に水を入れて、広い田や畑に誘水し、一時的に水を溜め、川の水位が下がった時に減水させるようになっていました。
 いつ、誰によって築造されたかは、はっきりしませんが、吉田藩主池田輝政(1590-1600在城)によって着手されたと推定されています。
 院之子町には、厳しかった洪水を防いだ名残として、石垣の上に 「水屋」 と呼ばれる家屋が建てられています。
 昭和40年(1965)に豊川放水路が造られ、霞堤としての役目を終えたこの堤は、現在二線堤として管理され、洪水被害の拡大防止の役割を果たしています。
   (豊川市教育委員会)

霞堤

霞堤