要約すると、かつてここに弁慶塚があり、直径7尺の松の木が二本あった。一本は明治26年4月に倒れ、もう一本は明治32年9月に倒れた。地元の有志が碑を建立した。

南北朝時代の高井城址

是為辨慶首塚松有二樹直径各可七尺許
鬱然交翠掩中天枝葉垂地至尚有餘萬木
中亦所宇観也可惜一樹以明治二十六年四
月仆未幾歳一樹又倒實三十二年九月也
傳聞僧辨慶學斃兵及者之首痊之丘陵栽
松以為墓標如斯不鈔云今歳郷里有有志之
徒欲栽松建石以存遺跡於後主使予序其
田乃記口碑所傳如吨

明治34年(1901)7月建立の石碑

大正12年(1923)3月建立の馬頭観世音