本坂通(姫街道)は、磐田市の見附と豊川市の御油を結ぶ東海道の付属街道で、古代・中世からその存在が知られている重要な街道です。
一里塚は江戸時代に諸街道に一里(約3.9㎞)ごとに置かれた里程塚で、道の両側に設置されました。嵩山一里塚は、江戸日本橋から数えて73番目(本坂通の東端の安間一里塚より数えて9番目)の一里塚として、本坂通の三ケ日宿と嵩山宿との間の本坂峠嵩山側の中腹に設けられたものです。
嵩山一里塚は、道の両側にあり、京都に向かって左側の西塚は直径10m、高さ2mのほぼ円形で、右側の東塚も直径10m程、高さ2m程の大きさで、いずれも築造当時の状況でよく保存されています。この一里塚は、天保14年(1843)の「本坂通宿村大概帳」によれば、「壱ヶ所、木立無之、但、左右之塚共嵩山地内」とあります。
本坂通に設置された一里塚の多くは、全部もしくは一部が破壊されており、愛知県側では嵩山一里塚しか遺っていません。静岡県側でも道の両側に完全な形で遺されているものはありません。
嵩山一里塚は、本坂通に完全な形で唯一遺されているもので、このうち西側にある一里塚が豊橋市指定史跡となっています。
(豊橋市教育委員会)
嵩山一里塚跡
嵩山一里塚標柱
嵩山一里塚案内