伊都内親王願文(がんもん)建立碑
妙冲尼観音
伊都内親王願文の書美は神韻澄みに澄み、正に龍祥鳳飛の瑞象に満ち、超人の芸魂、宛転自在の麗筆、妙高格の書義は、万人の及ぶことなし。更に用筆の下方出筆は、妙技雅境、神仙美舞転変の神技に至っては、龍の舌端より火を噴くが如し、超妙無比無類、天女の舞美に勝る神品と激讃す。
ここに郷衆一致、賢明なる立碑の鴻志は、宇宙時代を貫く大宇書道の招心たる天朝に通じ、千万載に朽ちるなし。
ここに創神の美碑を建つ。
この神社は平安時代の初期三筆の一人として著名な橘逸勢を祀った神社である。
中央の立石が逸勢の墓、西側の祠が逸勢の女(むすめ)妙冲尼の孝行を称えた旌孝碑である。文徳実録に依れば逸勢は承和9年(842)伴健岑(とものこわみね)等と皇太子恒貞親王を奉じて叛を謀ったとのことで伊豆に配流の途次遠江国板築駅に於いて病没其の地に埋葬したと、強いて随行した妙沖尼は墓畔に庵を結び父の冥福を祈った。
嘉祥3年(850)帰葬にあたり代わりに埋めた銅鏡は江戸末期に盗難に遭ったが、庄屋竹平氏により捜索漸く発見された。然し大正末期再び紛失今に不明である。
(浜松市教育委員会)
橘逸勢の書 「伊都内親王願文」
妙冲尼の孝行を称えた旌孝(せいこう)碑
橘神社由緒
橘逸勢(はやなり)を祀る橘神社本殿
参道石段
橘逸勢の墓
妙冲尼の孝行を称えた昭憲皇太后歌碑
筆塚