山号を知足山、宗派は臨済宗方広寺派。
隣接する鎮守諏訪神社の棟札から天文21年(1552)の頃には全得寺の存在が知られる。その頃この地は今川方に属していて、義元が桶狭間で戦死した後、住民はここより南方1㎞の所に、堀川城と称する砦を築いて、徳川家康の遠江侵攻に備えた。永禄12年(1569)3月27日、家康軍に攻められ、城はみるまに落ち、人々は大部分討死した。当寺は、この時討死した城将の一人、竹田十郎が出生地足利から、東光山善徳寺を請じて建てた寺で、この堀川城の戦いの折に焼失した。
 元和3年(1617)に、方広寺開山無文元選禅師の法孫に当たる天英和尚が復興し、あらためて和尚を第一世とし、十郎を開基とする。
 大正12年に堀川城主新田喜斎を祀っていた知足院を合併し、山号を知足山とした。
   (細江町教育委員会)

若宮神社

境内から気賀宿を一望する

稲荷神社 ・ 鍬大宮 ・ 水天宮

地蔵菩薩僧 ・ 弘法大師像 ・ 観音菩薩像

阿弥陀三尊像

全得寺本堂

全得寺由緒

斜面を上る参道