気賀宿は天正15年(1587)本多作左衛門によって街道の宿場と定められた。江戸時代には、山手に土塁、南は堀川、東に関所と葦垣、西に石垣と矢来の枡形があり、その中に本陣、問屋場、旅籠をはじめ民家約100軒が町並みを作っていた。この枡形は気賀宿の西入口にあたり、一対のL字形の石垣の上に土を盛り矢来を組み、門が設けられていた。外敵の勢いを鈍らせるため、道を折り曲げたものだが、道路拡張のため向かい側の石組は取り去られた。石組の中に瓢箪の型をした石がはまっている。
 燈籠には、当地の安全を、秋葉山に祈願した常夜燈で、地元の若者たちが願主となり、安政4年(1857)に40両の大金を集めて建てられたものである。
   (細江町教育委員会)

振り返ると枡形の様子が分かる

安政4年(1857)の常夜燈

枡形と常夜燈解説