この町は、天正15年(1587)本多作左衛門によって気賀宿と定められました。
 慶長6年(1601)徳川家康によって関所が置かれると、東海道の新居の関と並んで、東海道本坂通(姫街道)で最も重要な宿駅となりました。この公園は、本陣の斜め前に建設をしたもので「本陣前公園」と名付けられました。(中略)
 本陣は中村家が勤め、代々与太夫を襲名して明治になるまで栄えました。現在地の本陣前公園の場所には、河合家(武家)があり、領主、旗本気賀近藤家の家老で代官も務められました。
 本陣は、本陣前公園の東側30m位行った所の北側にありました。
 また、気賀関所は、東側に600m位行った所(気賀四ツ角)にありました。

本陣前公園周辺案内

街道を向いて建つ姫様の像

河合象子歌碑

夕日照る 根本の岩の 白つつじ にほふあたりは 暮れむともせず

平成10年(1998)岡田力三作

馬頭観音祠

寛政18年(1800)の石塔に刻まれた馬頭観音

本陣前公園看板