気賀は、天正15年(1587)本多作左衛門によって街道の宿と定められました。山手に土塁、南は堀川、東に関所と葦垣、西に石垣と矢来と枡形があり、その中に本陣、問屋場、旅籠をはじめ民家約100軒が町並みをつくっていました。
 気賀関所は気賀宿の東の入口にあり、慶長6年(1601)徳川家康により東海道本坂道の往来の取り締まりのために創建されたといわれます。関所の本番所は、はじめ茅葺でしたが、寛政元年(1789)に柿葺(こけらぶき)・切妻破風造り、狐格子・瓦棟に改築されました。嘉永7年(1854)に大地震で壊れたため葺き替えられ、昭和35年まで残されていました。現在の建物は関屋の正面に向かって左の部分3分の1で下の間・勝手の間の部分です。屋根の切妻破風造り、狐格子が残されています。
 本番所の正面、街道を挟んで向番所と二層の望楼があり、周囲には堀と石垣、矢来が設けられていました。

本番所の中の間

遠見番所 (望楼)

向番所の女改め

本番所

復元整備された気賀関所

冠木門

気賀関所解説

気賀関址碑