井伊谷城はこの地の領主である井伊氏が築いた山城です。標高115mの山頂に、単郭式の曲輪が築かれています。山頂の北半分は自然の地形を残し、南半分は平に均されています。曲輪の周りには土塁がめぐり、南側と西側に出入口をもちます。南側の出入口は大手に、西側の出入口は搦め手に相当します。大手口の両側には土塁が高く築かれており、防御を固めています。井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその麓にあった城館に加え、最終的な詰め城である三岳城(井伊谷城の北側2㎞に所在)で構成されていました。
 江戸時代の記録によると、井伊谷城は 「御所の丸」 と呼ばれていました。南北朝の動乱期(1336-92)に、南北朝の拠点として宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を擁した場所と関連付けられていたことが伺えます。

中腹にある城山稲荷大明神の参道

城山稲荷大明神拝殿

城山稲荷大明神本殿

井伊谷城跡からのパノラマ

御所の丸 (本丸)

出城があった三笠山

頂上から見える龍潭寺・井伊谷宮の森 (中央)

井伊谷城跡解説

井伊谷城跡標柱