この坂を 「一言坂」 といいます。元亀3年(1572)甲斐国(山梨県)から攻め込んできた武田信玄と遠江国(静岡県西部)の領主であった徳川家康との間に戦いが起こりました。袋井市の三箇野川の戦いで敗れた徳川軍は、浜松城を目指して敗走しましたが、一言坂で追いつかれ、再び合戦となりました。これが 「一言坂の戦い」 です。
 この時敗走する徳川軍を救ったのが、家康重臣の 「本多平八郎忠勝」 でした。平八郎は 「とんぼ切り」 といわれた大槍を振り回しながら一人奮戦し、枯れ草に火をかけ、その煙の中、見事に味方の軍を退却させたと伝えられています。
 敵の武田軍も、この時の武勇をたたえ、「家康に過ぎたるものが二つある。唐の頭(兜)に本多平八」 と書いた札を磐田市国府台に立てたと言われています。

一言坂戦跡解説

階段の先は荒れており踏み込まなかった

 この道は現在の県道413号です。昔の東海道はここより少し南側にあります。磐田市はここ 「一言坂」 から昔の東海道へと入り、「藤と香りの道」 と交差する森下起点案内板までの約3キロの道を 「東海道の歴史の道」 と定め、いくつかのサインを設置しました。途中には、江戸時代に東海道を旅する人たちの休憩地となった 「一里塚」 もあります。どうか、時間を超えて歴史の空気の中をゆっくり歩いて下さい。なお 「一言坂の戦跡」 石碑はここにありますが、本来の一言坂は直ぐ北側の山沿いにある坂道であり、江戸時代以降 「姫街道」 と呼ばれた道でもあります。

一言坂戦跡解説の脇にある琴平神社参道

一言坂案内

急勾配な一言坂

東海道道標(左)と一言坂戦跡碑(右)