服部小平太(中保次)は、永禄3年(1560)5月19日の桶狭間の戦いで、織田信長の家臣として、毛利新助たと共に、今川義元を討ち取った功労者であった。
 この地方が徳川の勢力下に入ると、小平太は信長亡き後、家康の家臣として、勲功によりこの地を治めた。もともと今川領だったこの地方には、桶狭間に出陣して戦死した者もあり、小平太に恨みを持つ者もあった。
天正15年(1587)6月18日、小平太は単身この地を巡視の折、長坂の途中で暗殺された。その場所はここより数十メートル上にある。祥栄院殿湖雲浄鑑大居士と刻まれているこの墓は、初め二代中保次により建てられたが、七代中保貞が新たに建て直したものである。
 ここより北へ200mの所に小平太を祀ったとされる宗安寺の跡がある。
  (細江町教育委員会)

服部小平太(中保次)の墓解説

服部小平太の墓

9区地区コミュニティ防災センター脇に建つ服部中保次の墓道標