小社
千日堂の切り絵
周辺図
慶応4年の老ヶ谷区有文書によれば、千日堂は老ヶ谷原山新開発の褒賞として建てられ、寛文11年(1671)呉石の近藤家下屋敷にあった観音石像を移して祀られたと伝えられています。また堂内には気賀近藤家二代用治(もちはる)、三代用由(もちよし)の位牌が祀られています。
宝永年間(1704~10)には、千日講本尊として阿弥陀如来を祀り千日念仏を行ったので、千日堂と呼ばれるようになりました。堂の前には、宝永4年(1707)浄土宗玄忠寺(浜松市田町)十四世成誉上人を導師とする
「南無阿弥陀仏」 石碑が建っています。
現在も毎月9日の晩、老ヶ谷の西平、中平、東平のお人々によって念仏講が続けられています。
(細江町教育委員会)
御堂に掛かる千日堂の扁額
千日堂解説
千日堂
近藤家下屋敷あった如意輪観音像
観音祠
宝永2年(1705)の南無阿弥陀仏名号碑