江川太郎左衛門の一族、江川永脩は江戸幕府の陸軍鎮撫頭取をした人である。明治3年、士族の三方原入植の時、三方原の奥大谷へ移住し茶園を造成して小作人に貸与したり、大谷坂を改修して村人に便益を図ったり、大谷川の水を揚げて水田を開いたりしたが、約10ヵ年の開拓の努力空しく、遂に三方原を立ち去った。その後は社会事業に尽力して、宮内大臣や県知事から表彰を受けている。
永脩の立ち去った屋敷跡は松林となってしまった。三方原には山がないことから松林のことを山と呼んでいたので、地元の古老は今もこの屋敷跡を、「江川山」
と呼んでいるが、現在は耕作されて茶園となっている。
江川永脩の三方原開拓への情熱と善行には学ぶべきものが多い。
茶畑
茶畑
江川永脩屋敷跡碑
江川永脩屋敷跡解説