東大山一里塚 (北塚)

東大山一里塚 (南塚)

祠に安置された自然石の馬頭観音

 この一里塚は、織田信長が一里を36町と定め、街道の一里ごとに塚を築き、その上に榎または松を植えて目印としたのにはじまり、その後江戸時代にいたっては、さらにこれを整備して旅行者の便をはかったもので、追分一里塚につぎ、日本橋よりの距離67里(約268㎞)に位置している。西は気賀・三ケ日等を経て、本坂を越えて嵩山に至り、更に三河御油に達して東海道に合する。