名前の由来
 兜塚古墳は古くから兜塚の名前で知られており、古墳の形が兜を伏せた状態に似いているところから、この名前が付けられたといわれています。

調査
 第二次大戦中の昭和19年に古墳の上に塹壕(ざんごう)が掘られ、その時に鏡や玉類などが発見されました。昭和34年に墳丘の測量が行われ、昭和53年、昭和61年、昭和62年に周囲の環境整備に伴い周溝の調査を実施しました。

墳丘 
 古墳時代中期(5世紀ごろ)に造られた直径80m、高さ8mの大きさの円墳で、円墳では県内最大の大きさです。墳丘は2段に造られ、中段テラスは幅広い平坦面になっています。裾部はかなり削平を受けていますが、南側については比較的旧状を留めています。墳丘の表面に拳大の礫が多く散在し、埴輪片が見つかっていることから、葺石が張り巡らされ、中段には埴輪が立て並べられていたと推定されます。

副葬品と主体部
 墳頂部から出土したと伝えられているものに鏡、玉類、太刀があります。鏡は三神三獣鏡で表面には布跡と朱が付着していました。主体部は戦時中に掘られたため不明ですが、石や粘土が認められていないことから石室ではなかったと推定されます。

(磐田市教育委員会文化財課)

かぶと塚公園案内図

兜塚古墳

兜塚古墳解説