この街道を姫街道と呼ぶようになったのは、おそらく江戸時代に入り、特に婦女子の道中が多くなったためであろうといわれている。現状は約3.8㎞に及ぶ街道の一方に松並木があり、今なお昔の街道を思わせる風情を残している。
(伝来) 奈良時代には、畿内七道諸国の道に果樹を植えて飢渇に備えたこともあったが、並木が全国各地に植えられたのは江戸時代になってからで、多くは松を用いた。一説にはこの松並木は当時の旅人を楽しませ、夏は休息のための木陰を与え、冬は積雪を防いだといわれている。江戸時代に並木が整って街道が美観を呈したのは、時の幕府がその保護に留意したからであると言われている。
姫街道は一本道ではなかった
① 磐田見付から、東海道と分かれ、三方原追分、御油までの道を姫街道と言う。本坂道・本坂通りとも呼ばれ、古代からの官道(国道)であった。
② 安間 ⇔ 市野宿、③ 浜松宿 ⇔ 三方原追分、④ 吉田宿 ⇔ 和田。 これらの道も姫街道と言われ、長い時代により街道交通が変化して脇街道が出来ていった。
姫街道 (本坂道) の街道図
姫街道の松並木解説
姫街道で一番太い松