熊野の長藤
推定樹齢300年の天然記念物の長藤
熊野の長藤
遠江国池田の宿の長熊野は、平宗盛(清盛の三男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
熊野は病母から届いた手紙で見舞に赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが、聞き入れられず、やむなく宗盛に同行しました。花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄の村雨に散る花に寄せて故郷の病母を気遣い
いかにせん 都の春も惜しけれど
馴れし東の 花や散るらん
と和歌を詠んだのを見て宗盛も哀れに思い、暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。 熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木があり
「熊野の長フジ」 と称せられています。
謡曲 「熊野」 と行興寺解説
熊野(ゆや)の墓(左) ・ 母の墓(右)
弘法大師像と観音菩薩像
行興寺山門 (冠木門)
天然紀念物熊野(ゆや)之長藤標柱
いかにせむ 都の春も 惜しけれど
馴れし東の 花や散るらむ
ひとの手に 綿虫移し いとませり
汗かいて 昼寝の吐息 業尽きず
老どちが 浄瑠璃に泣く 夜永かな
そら薫り煙は雲ぞさこそはれ一山染めて熊野ふじさく??
不明歌碑
荻原井泉水句碑
大橋葉蘭歌碑
熊野歌碑
藤の長房や天龍は長き流れなり
熊野(ゆや)御前と母の墓
(墓はこの奥にある)
本堂に掛かる行興寺の扁額
行興寺本堂内陣
(御本尊は十一面観音菩薩)