当神社は壬申の乱(672)があって3年後の白鳳4年(675)に天武天皇が、宇佐八幡の御神託 「近江の湖水の辺り粟津に、我が子仁徳を祀り崇敬すべし」 により、ここに当神社社殿を造営されることになり、この浦(湖辺)上下八丁(約800m)での殺生を禁じられ、以後漁夫は恐れてここを特別の浦(別浦)と云い、のちに別保と呼び、現在もこの地域の地名として残り翌年(676)8月(9月)15日放生会が行われました。
 当神社の社殿等が完成したのは、4年後の白鳳8年(679)で九州の宇佐八幡宮の次に古い八幡宮で、当初は粟津の森八幡宮、のちに若宮八幡宮となり、明治から若宮八幡神社となりました。
 ところで当神社の社殿等は延喜17年(917)雷のために全焼、その後、寿永3年(1184)源頼朝と木曽義仲の粟津の合戦でまたも全焼。勝った源頼朝が社殿等を再建。更にこの社殿等も応仁の乱(1467)の兵火で焼滅しました。
 しかしその後、立派に復興され、膳所城の築城後は歴代城主、本多公が寄進し、社殿を始め境内建物の修繕等を行ってこられました。
 境内には皇大神宮を始めたくさんの摂社・末社が奉祀されておりますが、これは当神社の歴史が古く、この間に多数の氏子が奉仕崇敬され、極めて霊験あらたかな氏神さまであることを示しております。

若宮八幡神社由緒

中門 (神門)

拝殿内部

拝殿

両袖に屋根を突き出した高麗門

右に脇門があり、屋根に鯱と軒丸瓦に立葵紋が見える

膳所城から移築した表門

享和元年(1801)の常夜燈

若宮八幡神社社標

境内社の大神宮

神輿蔵

境内社の白王社

若宮八幡神社鳥居

天明7年(1787)の常夜燈

表門内側

手水舎

若宮八幡神社本殿

阿形の狛犬

幣殿・本殿

吽形の狛犬