俵藤太秀郷むかで退治
 豪傑の誉れ高い俵藤太秀郷は、誰もが恐れていて近寄りもできなかった瀬田橋に横たわる66mもの大蛇の背をやすやすと踏み越えた。すると、大蛇は爺さんに姿を変えて秀郷の前に現われた。
 何事かと話をきけば、三上山に7回り半も巻き付いた大ムカデが夜な夜な琵琶湖の魚を食い尽くしてしまい、人々が大変困っているという話。
 しかしあまりにも凶暴な大ムカデを恐れて誰も退治できずにいる。そこで爺さんは大蛇に姿を変えて勇気ある豪傑を待っていたという。秀郷は、快く大ムカデ退治を引き受けた。秀郷の射た矢が見事に大ムカデの眉間を射貫き、大ムカデは消え失せた。
 この秀郷の武勇をたたえて爺さんが招待したところが瀬田橋の下、竜宮であった。琵琶湖に暮らす人々を守るべく二千年余昔から瀬田橋に住むという。漁民の暮しや、豊かな実りある近江国をこの竜宮から見守ってきたという。
 秀郷は一生食べきれないほどの米俵を土産に竜宮を後にした。そこから 「俵藤太」 の名が付けられたとされている。

瀬田川大橋を望む

唐橋西詰方向を望む

唐橋の擬宝珠

瀬田蜆 藤咲きしかば うまからむ

西沢十七星碑

瀬田の唐橋解説

瀬田唐橋架換記録碑