東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿南に続く矢倉村。 立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことからついた名で、矢倉村には草津名物の 「うばがもち」 を売る店があった。 この地に、そのうばがもちがあり、歌川広重の浮世絵や 「東海道名所図会」 「伊勢参宮名所図会」 などに、旅人が立ち寄って、うばがもちを賞味する光景が描かれている。
 また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る 「矢橋の渡し」 の渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。 浮世絵などにも描かれた道標が、今も軒先に建っている。 旅人は、俗謡に 「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」 と詠まれ、 旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て、矢橋湊から船で大津へ渡るかを思案した。
  そして、この地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚言で 「急がば回れ」 の語源になったところでもある。 武士のやばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋 (「醒睡笑」) と詠まれ、近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、 風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより、回り道でも瀬田橋まわりの方が着実であることから、成果を急ぐなら、 遠回りでも着実な方法をとる方が良いことを指南したものである。

矢倉立場説明

安藤広重の東海道五拾三次之内 草津

右やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし