慰霊碑の奥の義経大日如来
義経が奥州平泉へ向かう途中、鞍馬を出て日ノ岡峠の清水に差し掛かった時、すれ違う平家武者・関原与一重治とその従者9人の馬が泥水を跳ね上げ、義経の直垂を汚してしまった。これに激昂した義経が9人を切り殺し、それを哀れんだ村人が弔いの石仏9体祀ったもので、そのうちの一体がここに祀られている。
文久元年(1861)江戸に生まれ、明治18年(1885)琵琶湖疎水の設計・施工の総責任者となる。
琵琶湖疏水工事殉職者慰霊のため田辺朔郎が私費で建立した碑 (一身殉事萬戸霑恩=いっしんことにじゅんずるはばんこおんにうるおい)
全て地下を通る第2疎水出口
山ノ内浄水場導水管
インクラインの軌道敷跡
琵琶湖疎水
田辺朔郎博士の像
慰霊碑