日向大神宮は、清和天皇の勅願によって天照大神を粟田山に勧請したことに始まり、その後応仁の乱で焼亡したが、寛永年間(1624-44)に伊勢人野呂左衛門尉源宗光が再興したと伝える。
境内の最奥に南面して建つ内宮本殿は桁行正面1間、背面2間、梁行2間の神明造の建物である。両脇に棟持柱を建て、屋根の棟には内削ぎの千木と堅魚木8本を載せている。本殿の前方に建つ四脚門の御門の屋根にも内削ぎの千木と堅魚木6本が載り、両脇に板垣が取り付いて内宮の敷地を区切っている。
内宮の前方一段下がったところに建つ外宮は、本殿・御門ともに内宮とほぼ同じ規模・型式を持つが、屋根の千木が外削ぎで堅魚木がそれぞれ1本少なくなる。
本殿はともに造営年代に関する資料を欠くが、社蔵文書や 「拾遺都名所図会」(天明7年)から18世紀末には既に建っていたことが分かり、部材が一部取り替えられているものの、市内では例の少ない神明造本殿として貴重である。また、御門と板垣で敷地を区画する社殿構成は古式を伝えている。
また、内宮・外宮のほか拝殿・社務所・摂社等一連の建造物が、敷地の高低差を利用して配されるこの神社の構成は見事であり、周囲の山と一体となって優れた境内環境を形成している。
日向大神宮概要
福土神社
清和天皇御手植之御神木
天の岩戸の戸隠神社
内宮への神橋
修理中の外宮本殿
外宮神門
神田稲荷神社
厳島神社
朝日天満宮
拝殿
神明鳥居
手水舎
大神宮橋左の安政6年(1859)の常夜燈
大神宮橋右の嘉永5年(1852)の常夜燈
日向大神宮社標
大神宮橋から疎水を望む
天の岩戸くぐり
内宮本殿
拝殿から望む内宮神門